平泉の時代、平泉を支えた金山はいくつあってどのようなものだっただろうか。金野静一(元岩手県立博物館長)先生の説によると、60箇所はあっただろう、としている。それは現在の東北地方にわたり、いくつかの黄金伝説がうまれた。特に気仙地方の金山は良く知られていて、当時の中国では「日本のみちのくで産する」金として知られていた。
マルコポーロの東方見聞録、結果としてアメリカ発見につながる。しかし、また多くの歴史の葛藤も金をめぐるものも少なくない。いずれ平泉における先人の歴史遺産を日本の「金」として讃えたい。
奈良時代天平年間、日本で初めて金が発見された。場所は宮城県涌谷町。当時の聖武天皇は大変喜んで元号を「天平感宝」と改めた。そして大伴家持は先の
天皇の御代栄えんと東なるみちのく山に黄金花咲く(大伴家持)
(すめろぎの みよさかえんと あづまなる みちのくやまに くがねはなさく)
平泉ゆかりの金山の一部をご紹介します。